更新日:2021年4月1日
学生時代、国宝「銘 卯花墻」が焼かれた可児の歴史に興味があって、荒川豊蔵先生のお宅に伺ったことがあります。これが可児の美濃桃山陶との出会いでした。その帰りに土岐市まで足を延ばして、志野茶碗を作陶したことを思い出します。
年月が過ぎて、再度おじゃました豊蔵先生の陶房は、ほとんど朽ち果てたような状態で驚きました。当時管理されていた方から、市長になった私に市で管理して欲しいと依頼されました。私は、こんなに素晴らしい歴史あるこの場所を、市民の皆さんに知ってもらい、次世代へつないでいきたいという思いから、豊蔵先生が作陶されていた当時の様子をそのまま残し、国宝が焼かれた場所「美濃桃山陶の聖地」として整備しました。
そして今年、2021年はセラミックパークMINOを主会場に、「国際陶磁器フェスティバル美濃」が開催されます。これを機に可児市の作陶の文化を多くの皆さんに知っていただけるよう、世界にPRしていきたいと考えています。
さて、前段の私が作った茶碗に話を戻します。私は当時八百屋をしていた自宅の店の隅に「1万円」の値段を付けて、置いておきました。後日店をのぞくと、その茶碗が無くなっていたので、店にいた母に聞くと、その茶碗は売れたとのこと!45~6年も前に1万円で売れた私の志野茶碗、今も誰かが愛用していてくれないかしら。
可児市長 冨田成輝
添付ファイル
私にとっての美濃桃山陶(pdf 314KB)