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ようこそ!太古の可児へ(63)可児が湖だった頃

更新日:2019年2月1日

 「空はどこまでも青く澄みわたり、湖水は静かに空の青を映し出す。森の緑は両者の間に鎮座する。ほとりを訪れたバクやサイの波紋のみが、空と湖の区別を教えている。いたって静かだ。・・・と突然、パォーン。ゾウの遠声が草原の静けさを打ち破った。鳥の飛行が幾筋も、青と緑のカンバスをシャープなラインでカットする。時間が流れていることにはじめて気がついた瞬間だ。」
 新生代第三紀中新世の可児市は、このように時が流れる世界だったのでしょう。無論のこと、必要以上に静けさをかきみだす人間はいません。テレビもネオンもカラオケもない、今とは別世界です。
 今から1,800万年程前、可児市周辺の盆地部には、大きな淡水湖が広がっていました。湖にはカニオヤニラミやフナなどの魚類、そして大きなドブガイやシジミなどの貝類が、また湖畔や草原、森には、カニサイ、ゾウ、ヒラマキウマ、ミノシカ、ビーバーといった哺乳動物も暮らしていました。しかし、湖が火山灰や泥でしだいに埋まっていくにつれ、森の木々とともにこれらの動物の遺骸も埋もれ、化石となり今に残されたのです。
 可児市で見つかるたくさんの化石は、太古の昔に生息していたこれらの動植物のことや、当時の環境を教えてくれます。ヒラマキウマは、今の馬と比べると小型でヒツジ位の大きさ。前足は3本指で、蹄(ひづめ)はまだありません。ゾウも小型で、サイの生息や植物相とも合わせると、気候は今より温暖だったようです。
 可児市は世界的な化石の宝庫であり、動物化石に可児市由来の名前が付いているのも誇らしいですね。代表的な化石は、可児郷土歴史館で見ることができます。
 「可児の山には海の証、丘には湖の証、平地には川の証」。
 これは、私たちが愛する鳩吹山や浅間山には、海底であった時の中生層(チャートなど)があり、平牧や帷子地区の低丘陵は、湖に堆積した平牧累層や帷子累層、そして中恵土や川合~土田の土台は、木曽川の段丘堆積物でできていることからも分かります。
 可児の太古に思いを馳せて、Kルートで自然を満喫しつつ散歩にでかけてみれば、きっと寒さも吹き飛びますよ。
 
     可児市長 冨田成輝

添付ファイル

ようこそ!太古の可児へ(pdf 321KB)