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ようこそ!市長室へ(79)可児の地より 桃山陶が花開く

更新日:2020年9月1日

 日本が世界に誇る茶の湯文化は、鎌倉時代の禅僧が中国(南宋)の喫茶文化を導入したことに端を発すると聞きます。中国産の茶器は「唐物」として珍重され、茶会を開くことができる公家や有力武士・富裕層などが競ってこれを求めたといいます。  
 こういった唐物数寄の流行によって、現在の中国本土にはほぼ残されていない「曜変天目」などの名物茶碗が我が国において伝世することになりました。また、美しい光沢を備えた青磁・白磁なども最上級品とされました。
 当時の唐物重視の気風は現在の国宝指定にもあらわれています。国宝に指定されている茶碗は八碗を数えますが、その大半が舶来品(唐物・高麗物)であることはあまり知られていません。 国宝指定の国産茶碗は少なく、わずか二碗のみ。うち一つが志野茶碗「銘 卯花墻」となります。
 「銘 卯花墻」は、桃山時代に可児市久々利大萱の牟田洞窯で焼かれたと推定されるもので、胴部には鉄絵で大きな籬が描かれ、白い長石釉の下に濃淡を含みながら映えています。箱蓋裏には「やまさとの うのはなかきのなかつみち ゆきふみわけし ここちこそすれ(山里の 卯花墻の中つ道 雪踏みわけし 心地こそすれ)」の和歌が添えられ、白い釉景と籬の絵を、垣根に咲く卯の花に見立てての銘であることが分かります。総体に歪みを持ちながら、上品かつ堂々とした作であり、志野随一の名碗である故に国宝に指定されています。
 可児市を含む東美濃で焼かれた美濃桃山陶は、それまでの焼き物とは違った「歪み」や「絵付」などの特徴(表現方法)を備えていました。「銘 卯花墻」のように、茶碗に描いた素朴な絵を自然の風景に見立てるという発想や、あえて歪みを持たせることなどは、人工物の中にすら自然の働きを見出す我が国の精神的風土を反映したものといえ、精密さを是とする唐物とは趣を異にします。
 唐物数寄の趣向は南宋の文人文化に通ずるものがあり、瀟洒なものではありますが、全てが我が国で醸成された美意識であるとはいえないでしょう。
 ある意味、可児で焼かれた美濃桃山陶が加わったことで、茶の湯文化が我が国固有の文化として昇華されたといえるかもしれません。
 私はかねてから、可児市久々利大萱・牟田洞の地を「美濃桃山陶の聖地」と呼んでいます。桃山陶の精華たる名品が焼かれ、荒川豊蔵が終生の作陶場とした当地は、まさに現代においてもなお、我が国が世界に誇る「日本文化の聖地」「日本芸術の聖地」と呼ぶにふさわしい場所です。

踏みわけし 道には花も なかりせど すえより匂ふ 美濃のももやま 

 可児市長 冨田成輝

添付ファイル

可児の地より 桃山陶が花開く(pdf 416KB)