本文にジャンプします

ようこそ!市長室へ(36)ようこそ!海老衣子の部屋へ

更新日:2016年5月2日

 母子健康手帳の母・海老衣子の回想

 1933年(昭和8年)、ついに「ベビーブック」が出版されました。つらい体にむち打って、没頭してきたこの本を、晴れて世に送り出すことができ、感無量です。
1901年(明治34年)、私、海老衣子は可児の久々利村に生まれました。両親の理解もあって、単身上京し、日本女子大学校で学びました。高名な女性実業家、広岡浅子さんなどが創立に尽力され、奇しくも私が生まれた年に開校した日本初の女子大学校。高い教養を身につけ、自立した女性の先駆者となるべく、決意の旅立ちでした。
 卒業後は出版社に職を得て、婦人雑誌の出版に関わりました。お子さんを持つ方々と接する中で、子育てに関する女性の切実な思いをひしひしと感じました。そこで、子育ての不安を少しでも和らげながら、子どもの成長を記録する、楽しさを抱ける、そんな本を作ろうと決心しました。そして生まれたのがベビーブックです。
 独身で仕事に没頭してきた私ですが、一方で、結婚し子どもを生み育てることも望んでいました。その願いは叶いませんでしたが、私の思いは女性たちに届き、何度も増刷するほどのヒット作品になりました。少しはお役に立てたのではと、自負しています。
 私はこの世を去ってからも、ベビーブックに関わる変遷を見守ってきました。戦後には母子健康手帳が発行され、妊娠から出産、産後の育児まで、子育てに寄り添う日本独自の素晴らしい仕組みへと成長してきました。最近は、スマホなるもので手軽に子どもの成長が記録できる「かにっ子ナビ」が始まったことを知りました。私の故郷で積極的に進められている「マイナス10カ月から つなぐ まなぶ かかわる 子育て」の一環とのこと。妊娠期からの切れ目のない子育て支援の拠点が、平成30年春には可児駅前に開館する予定で、その一角に私のベビーブックを展示していただけると聞きました。
 可児で生まれ育った私のことを知っていただき、少しでも子育てに奮闘する皆さんの励みになればと願っています。故郷の地で、子育てに対する私の思いが引き継がれ、進化していくことをとても楽しみに、これからも見守っていきたいと思っています。


空想シリーズ4回目となる今回は、海老衣子の回想録風に語ってみました。35歳という若さで亡くなった衣子の思いを、私たちは決して忘れてはいけないと思います。
可児市長 冨田成輝

添付ファイル