更新日:2019年6月5日
「兵は詭道なり」といい、面目としてはそうだろう。だが私はその詭道に興味を持ってしまうから始末に悪い。近頃、「鉄砲」なるものが戦に使われていると聞いた。京から来た商人の話では、筒から火を吹く飛び道具だという。なんでも南蛮から伝わったらしい。ぜひ見てみたいし、できるものなら手に入れたいと思う。
―申し遅れたが、私は明智光秀。享禄元年(1528)、ここ可児郡明智の里で生まれた。我が明智家は美濃の名門といわれた土岐氏の末につながり、代々明智の里を領してきた。当主たる私はこのとおり25歳にもなるのに、興味のあるものに魅せられて、ふらふらと定まらない毎日だ。
家族や一族たち。これが私の宝だ。明智家の後継者たる私が、武術鍛錬に執心し、諸方を歩いて見聞を広めていることを良く思わない者もいる。だが、叔父の光安殿は私に優しい。「それでいいのだよ。お前は明智の家に納まらない器かも知れん」といって下さる。
私の本心をいえば、大切な家族や一族、領民たちを守る知恵と力が欲しいだけなのだ。本当は戦も兵の道を究めることも好きではない。「鉄砲」とて、それがこの乱世を生き抜くための、そして、終わらせるための詭道となるならば用いざるを得ない、のだろう。
近頃、美濃国内は騒がしい。斎藤利政様(のちに改名して斎藤道三)が主君の土岐頼芸様を追放して以来、もはや国を奪ったも同然などといわれている。美濃統一を果たしたという事は大きいが、一方で利政様のやり方に不満を抱える者たちも多いと聞く。
東美濃での明智一族の立場は難しい。土岐氏の一員でありながらも、利政様の勢いは無視できない。我が明智家から利政様に小見の方様が嫁いでいることも重要だ。小見の方様は、私にとって叔母にあたり、帰蝶(濃姫)の母でもある。
帰蝶は幼い頃から美しかった。私は年々綺麗になっていく帰蝶を見守ってきた。いずれ一緒になれたら、と淡い夢を見ていたのだが、それは夢のまま終わってしまった。3年前に帰蝶は「うつけ」と呼ばれる尾張の織田の若君のところへ嫁いでいったのだから。
利政様こそ詭道の人であると思う。近くにお仕えした際に、目的のためには手段を選ばない、というやり方を教えていただいた。それが非道にみえても、大きな目的のためには仕方のない場合もあるのだと。
私も利政様のようにならなくてはいけないのだろうか?たとえそれが国の平穏につながる政略であるとしても、おのれの娘を敵方の「うつけ」に差し出すなど、今の私にはとても真似のできないことだ。
―本稿は主に『美濃国諸旧記』を参考に構成した「私にとって」の明智光秀ストーリーです。謎の多い明智光秀の人生は、数多くの物語を想像することができます。これから光秀はどうなっていくのか、8月号の続編をご期待ください―
可児市長 冨田成輝
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