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ようこそ!久々利の里へ(58)久々利の長 物部古麻里の回想

更新日:2018年5月2日

 私、物部古麻里は、久々利の里の長を務めています。五穀を収穫しながら、さほどの蓄えはありませんが、食べるには困らずで、里人のまとめや相談に乗りつつ、日々平和に暮らしておりました。
 五月晴れのある日、可児の郡司様が、飛鳥の都から届いた書付けを携えて参られました。何枚かの板に記された書付けの内容に、私は腰を抜かしてしまいました。その書付けには「久々利の里の米はとてもうまいと聞く。今年の正月用の餅に使うため、美濃の国からはこの里の米を選ぶ。12月20日までに都へ10俵運ぶように」とあったのです。とても光栄なことで、わが里の米の美味しさが都まで届いていたことに大変驚きました。
 翌日、里人にこのことを伝えてからというもの、急遽、畑を水田にするなど稲の作付けを増やしたり、神聖な田植えの儀式やら種籾の選別やらで、久々利の里は大騒動になりました。天皇への献上米は一粒一粒吟味が必要なため、その候補として大量に生産しなければならないのです。特にその水田については、収穫まで、水や稲の病気の管理など、とても神経を使いました。
 幸運にもこの年はことのほか天候にも恵まれ、滞りなく収穫の秋を迎えることができ、ほっとしました。里の衆が自らの水田は差し置いて、一丸となり一生懸命育てたので、例年にも増して特上の実りとなりました。
 こうして出来た自慢の米を、遠く都まで運ぶ道程も、大変苦労しました。都に着くとその華やかさに圧倒されましたが、この都に住む天皇様に食べてもらえるかと思うと、胸が躍りました。献上米は、久々利の里で育てたことがはっきり分かるように、荷札を俵にしっかりくくり付け、役所の倉庫に収めさせていただきました。
 私たちの米は、天皇も絶賛されるほど、他を抜きん出て美味しかったそうで、可児郡久々利の里の米が全国に知れ渡るのに、そんなに時間はかかりませんでした。平成の世においてもその品質は引き継がれ、美味い酒や甘味などにもなり、人々に愛されていると聞き及んでいます。

 可児市長 冨田成輝

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