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ようこそ!市長室へ(新春座談会)多文化共生のかに暮らし

更新日:2019年1月7日

新春座談会
市内で事業所を運営する安藤文夫さん、可児市出身で市外で働く有田早紀さん、フィリピン国籍で市内で働くバクシカン カリルさんをお招きし、「可児の多文化共生」「可児の未来」という観点から「住みごこち一番・可児」について冨田市長と語り合いました。(文中 敬称略)


●可児ってどんなまち?

有田 私は都会に憧れて、大学進学を機に可児を離れました。友達から出身を聞かれても、可児を知らないだろうと思って「名古屋の方」と説明したりしていました。でも案外、自分が思っていたよりみんなが「可児市」を知っていることに驚きましたね。そして最近では、可児ってやっぱりいいなぁと感じることが増えました。
 たまに帰省したときに、市役所に勤務している同級生や高校時代の先生、地元の酒屋のおじさんとかが、ちょっとしたことですけど気にかけてくれるんです。可児には都会すぎず田舎すぎない、誰かを気にかけられる温かい距離感があります。そこが私は好きですね。

安藤 私の出身は、美濃加茂市です。加茂高校を卒業して大学へ進学し、勤務医をしていました。その後開業を考えていたとき、出身地周辺で開業出来る場所を探したのがきっかけで、現在の下恵土に開業をすることにしました。可児市には、買い物をする場所などが多くて住みやすいですね。

カリル 私は両親の仕事の都合で、小学校4年生の時に初めて日本に来ました。そして小学校6年生のときに可児市に引っ越してきました。

市長 日本、そして可児市に住み続けようと思ったのはどうしてですか。

カリル 日本はフィリピンと比べて、経済が安定していて安全です。フィリピンでは、大学を出ても安定した生活を求めて、日本に働きに来る人も多いです。それならこのまま日本に住んで働いたほうが自分のためになると感じました。
 それに可児は外国籍の人が多く、外国にいる気がしないです。道で人に会ったら自然と挨拶もできるし、私も可児市民として違和感はないです。たまにフィリピンへ帰って日本に戻るときも、私は日本に「行く」ではなく「帰る」って言うんですよ。私にとって、可児は第2のふるさとなんです。

安藤 私の事業所では今、ブラジル国籍の人が4人働いてくれています。その人達に伺うと、可児には病院にも市役所にも学校にも通訳がいるので、言葉の壁がなくて、とても住みやすい場所だと言っていました。

カリル 私が可児に来た頃は、通訳がいなくて本当に大変で、学校で頼れるのは英語の先生だけでした。そのせいか、今のように誰とでもコミュニケーションが取れるようになるまでに、5年もかかりました。今はどこに行っても翻訳されているので、大人にも子どもにも、とても良い環境だと思います。

●多文化共生センター・フレビア

安藤 日本人にはあまりなじみがないんですけど、外国籍の従業員に聞くと、フレビアをよく利用しているようです。自分の国の人たちとの交流はもちろん、別の国の人たちと交流するために、フレビアを利用することもあるそうです。

カリル お祭りや日本語教室などもあるので、交流もしやすいです。それに、日本語を習うこともあるし、逆に母国語を習いにフレビアに行くこともあるんですよ。

市長 家庭内でコミュニケーションを取れずに苦労する子もいるようですから、フレビアでは、母国語の教室もあります。外国籍の人も可児市民ですから、国籍は関係なく、生活のサポートをしたいと思っています。言葉が通じないことでいじめられて辛い思いをせずに、可児で暮らしてほしいです。

カリル 小さいうちに日本に来た子や、日本で生まれた子など、母国語を話せないケースがあるんです。そういう子達は、親との意思疎通がうまく図れないことがあります。親は日本で育っていないため、経験がなくて子どもの意見に共感できないことが多いです。だから子どもの進路決定のときなど、意見が食い違って、そのまま仲が悪くなってしまうこともあるようです。

有田 親と子どもの間で物事を共有することは大事ですよね。それに、母国語は自分のルーツというかアイデンティティーを大切にするために、たとえ外国に住んでいても必要なんですよね。

●外国籍の人の雇用

有田 私が中学生の時、クラスにもブラジル人がいました。今は可児市に人口の約7%という多くの外国籍の人がお住まいだと聞きました。

安藤 私の病院には、1日で7~8人くらいの外国籍の患者さんがいらっしゃいます。

有田 結構たくさんいらっしゃるんですね。安藤先生の事業所には、外国籍の人が4人、働いているんですよね。最初に雇用されたときはどうでしたか。

安藤 医療や介護の現場では記録のために文字が書けないといけないんです。だから最初は外国籍の人を雇うことに抵抗がありました。初めて外国籍の人を雇ったのは10年ほど前で、フィリピンの女性でした。彼女はフィリピンの看護大学を卒業してから日本に来ていて、すぐ文字も習得して、介護現場でも活躍してくれました。それ以来、外国籍の人を雇うことの抵抗はなくなりましたね。

有田 カリルさんのフィリピンにいた頃の、将来の夢はなんでしたか。

カリル 小さい頃は、医者になりたいと考えていました。フィリピンでは生活が苦しいために、この職業でないと安定した暮らしができないと考えていたんです。日本に住むことになってからは、英語の先生になりたいと思っていましたが、私は言葉が3つできることもあって、最終的には通訳の道を選びました。

有田 親の都合で日本に来た子どもたちが、言葉の壁で将来の夢を諦めてしまうこともありますよね。

カリル フィリピンで学力のあった子が日本に来たことで、まず言葉の習得からやり直さなくてはなりません。自分がそこから動き出さないと何も始まらないし、自分で頑張ることが必要なんです。
 私は夢を諦める子を見ていると、本当に辛いです。だから私は自分も経験したからこそ、学校で通訳をしながら、子ども達を支えていきたいと思っています。

市長 外国籍の人は支援が手厚い可児へどんどん集まってきます。それには市民の理解も必要ですが、市が支援した成果は、カリルさんのように、可児に住んで働いてくれることが一番です。だから最終的に外国に戻ってしまうと、非常に残念に思いますね。
 フレビアは、今までは外国籍の人のための施設でした。でもフレビアには素晴らしい外国籍の子ども達が育っているし、ずっと住み続けたいと思っているので、外国からわざわざ労働者を連れてこなくても、市内の日本企業にフレビアのPRをすることが、今後は必要だと感じています。そしてフレビアが、日本人のための施設でもある側面も、PRしないといけないと思っています。

●岐阜医療科学大学

安藤 今度可児市に開設する岐阜医療科学大学ですが、地域の発展のためにどのように連携していくお考えでしょうか。

市長 まず、地域には行政と地元地域の二つの役割がありますが、行政は既に、子育て健康プラザ・マーノと連携しています。二つ目の地元地域で言いますと、帷子地区の高齢者が学生に相談をして、学生はそれを勉強の糧にする、というような仕組みを構想しています。また、健康フェアや帷子地区センターまつりには、既に学生たちが参加してくれています。そして、せっかく地元に大学ができるので、まず可児の学生が、その大学で薬剤師や看護師を目指してほしいです。将来的には、奨学金制度や地域枠を作って、地元の薬局や病院で働いたりしてくれたら嬉しいですね。

安藤 有田さんもそうですが、大学進学で都会へ行ってしまう若者は多いですよね。それに最近はどこにでも言えることですけど、市内の団地の高齢化が心配です。だからこの大学の誘致で、若者が可児へ来てくれるメリットもありますね。

市長 この大学は、薬学部のない尾張北部方面の学生がターゲットで、レベルの高い学生が多くいます。ただ、まずはその分野を目指している可児の学力ある子ども達が、この大学を目指してくれたらわざわざ名古屋まで通わなくてもいいですよね。

●可児を全国に発信すること

安藤 それには、情報発信が重要ですよね。今回、可児市のホームページを見てみましたが、可児暮らしを発信するサイトは「くらし」「しごと」などの情報が見やすいですね。可児の良さが伝わってきます。さらに可児に住む外国籍の人達も見れるページがあるといいと思います。

有田 私は放送局に勤めているので、ホームページや市の観光PRはすごく大事だと感じます。先日可児市役所へ行った時に、おしゃれで充実した観光パンフレットなどが置いてありましたけど、それをどこまでアピールできているかが重要だと思います。

市長 可児には素晴らしい企業が集まってきているし、下水道なども整備され、その割に地価はそれほど高くはない。気候も温暖で、地震があっても津波はなく、地盤も強い。働く場所や買い物をする店も多い。何よりも人がいいんです。そもそも可児市は転入者が多く、いろいろな人たちを受け入れてきました。そんなまちを、日本国内のみならず世界に発信していく。可児みたいなところに住みたいなぁと思っている人たちに情報が届かないと意味がないので、そのために、どのように可児の情報を発信していくのかが、今後の課題ですね。

●可児市がこうあってほしい

安藤 カリルさんにとって、可児が今後、こうあってほしいというところはありますか。

カリル 一番は、可児に住む外国籍の大人の教育です。
 私が勤めている蘇南中学校では、外国籍の子どもたちが多いこともあって、文化交流の機会があります。例えば、外国籍の子どもたちが日本の文化である餅つきをして、日本人の生徒にふるまったりするんです。
 でも、大人になってから日本に来た外国籍の人たちにはそういう機会がなく、可児の日本人が普段どんな生活をしているかということを全く知らないです。だから今後は、外国籍の大人のサポートが必要だと思います。日本に住んでいる以上、言葉はもちろん、文化や習慣など理解しないといけないと思います。

市長 以前、ブラジルの人から聞いた話ですが、可児にずっと住んでいたけど、いずれブラジルに帰るつもりだったので、最初は全く日本語を覚える気はなかったそうです。しかし、日本に永住しようと決めた途端に、日本語やルールなどを覚えなくてはいけないと気付いたそうです。永住するのかどうかということもポイントかもしれません。
 そういう外国籍の人たちには、例えばフィリピン人ならフィリピンの人に、ブラジル人ならブラジルの人にお手伝いをしてもらって、日本の生活のルールを教える、という仕組みが必要ではないかと、今考えています。

有田 なるほど。多文化共生の取り組みがますます進んで、誰にとっても住みよい可児市になっていくといいですね。
 ところで、可児に暮らすみなさんに聞きたいことがあるんですけど、大河ドラマはご覧になっていますか。2020年は、武将 明智光秀が主役です。可児は明智光秀の生誕の地と言われていますが、どれくらいの人がご存知でしょうか。そして、過去もそうでしたが、ドラマが放送されると多くの人が縁の場所を見に来られます。その時に可児ではどんなおもてなしが出来るか、ということが重要だと思っています。市長、そのあたりはどうお考えですか。

市長 もちろん、今ちゃんと準備をしていますよ。岐阜県にはドラマ館を、岐阜市と恵那市と可児市の3カ所に設置するよう調整しています。岐阜市の大河ドラマ館には当然たくさんの観光客が来るでしょう。そして明智光秀の生誕の地ということで、可児にも観光客が来てくれると思いますが、可児だけではなく、明智光秀の縁である他の地域との広域連携で、観光交流人口の増加に取り組んでいくつもりです。
 この大河ドラマは、可児市を全国にPRしていく絶好の機会です。今年は全国に向けて可児を発信し、さらに可児の魅力を、子ども達にも伝えていきたいと思っています。


プロフィール

安藤 文夫
(医療法人純真会あんどうクリニック院長、社会福祉法人藤の会 理事長)
下恵土在住 昭和34年生まれ
平成10年あんどうクリニックを開院。日々の診療の他、在宅医療にも積極的に取り組む。現在はあんどうクリニックの他、グループホームや特別養護老人ホームなど多くの介護事業所を運営している。

有田 早紀
(NHK名古屋放送局キャスター)
可児市出身 名古屋市在住 昭和61年生まれ
大学進学の際に、可児市から東京へ。大学卒業後、岐阜、仙台、大阪の各放送局で勤務し、2018年4月からNHK名古屋放送局へ。夕方のニュース「まるっと!」を担当している。

バクシカン カリル
(蘇南中学校通訳サポーター)
フィリピン国籍 今渡在住 平成8年生まれ
小学校4年生の時にフィリピンから日本に移住し、小学校6年生から可児市に住み始める。蘇南中学校で通訳をしながら、週末は、可児市多文化共生センター フレビアで、外国籍の子ども達の教室でコーディネーターをしている。両親との3人暮らし。

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