更新日:2017年8月24日
私の名は森長可、人呼んで「鬼武蔵」である。槍を振りかざし、真っ先に敵陣に切り込む戦いぶりや、恐れを知らぬ立ち居振舞いが、そう呼ばせたのかも知れぬ。
宿老として織田信長様をお支えし、一五七〇年、浅井・朝倉氏との戦いで討ち死にした、父可成の家督を継いで、美濃金山城主となった。
信長様は、家中きっての忠臣として知られた父に恩を感じ、私をはじめ、弟の成利(蘭丸)、長隆(坊丸)、長氏(力丸)を大変かわいがってくださった。私の「長」の字も信長様からいただいたもの。信長様は、武田攻めの途中、我が金山城に立ち寄られ、父の菩提を弔ってくだされた。母妙向尼と私たち兄弟の喜びは、とても言い尽くせないほどのものであった。
私は、信長様の命を受け、先鋒として信州へ侵攻し、越後国深くまで進軍した頃、驚愕の知らせが舞い込んだ。世に言う「本能寺の変」である。信長様が討たれたということは、お側にお仕えしていた蘭丸、坊丸、力丸たちももはや・・・。にわかに信じ難くも、敵を討つべく直ちに信州から引き返した。しかし私が美濃に戻った頃には、光秀は羽柴秀吉によって既に討たれていた。
その後、私と対峙する米田城(加茂郡川辺町)や大森城などの勢力を一掃し、東美濃全域を統一するに至った。信長様亡き後の動乱が続く中、私は小牧・長久手の戦いで家康軍の鉄砲隊に撃たれ、ただ一人残された、まだ幼い末弟忠政を案じつつ、信長様の元へと旅立った。
最近、何やら我が金山城下が騒がしい。先日は、夜であるというのに、装飾した竹に明かりを灯して、多くの人出で賑わっていた。永く荒れ果てていた城跡を整備してくれる人々や、戦のまね事をする子どもたちも大勢いるようだ。城の造りや、どのように戦ったかなども勉強している。見ているととてももどかしく、教えてやりたいくらいだ。どうも城跡を活用し、地域を盛り上げようという策らしい。来月には「山城に行こう!」という祭りが開かれ、私が登場する「センゴク」という漫画とかいうものの作者も、参上するとのこと。
大いに城を活用してもらってかまわぬ。戦国時代を命がけで走りぬけ、必死にこの地を守った私たちの命が、今を生きる人々につながり、そして、末永く引き継がれていくことを、見守っているぞよ。
空想シリーズ6回目は、表紙、巻頭記事との連動です。私の鎧兜は、森可成の衣装です。可児と成輝の合体で、縁を感じます。
可児市長 冨田成輝
添付ファイル