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亀井六郎の墓

更新日:2013年12月4日
 東帷子の中切地区と古瀬地区の境に亀公園があります。そこに亀井六郎とその乳母の墓石が建てられています。
 亀井六郎は源義経の四天王の一人で、治承4年(1177年)源頼朝の挙兵に始まった源平の戦いで、弁慶と共に各地を転戦し活躍しました。亀井六郎を育てた乳母は、この地区の人で亀井六郎自身もこの地で終わったといわれています。
 昭和27年の盆の14日、夜中に若者が女の人の声で呼び起こされると、やせた老婆が白髪を乱して、
「のどが渇く、のどが渇く、早く水一杯よんでくりゃれ。のどが焼けつくようだ」と訴えました。
 若者が茶碗に一杯汲んで老婆に与えると、グーと一気に飲んで「アーうまかった。もう一杯」と言うので、また与えると「ホー、これで娑婆へ来たかいがあった」と大変喜びました。
 老婆は白髪をなで上げつつ「あんな草むらの山の中に埋もれていてはお盆でも誰も水一杯供えてくれやせぬ」と言うので、若者はゾッとして、
「お前さんは一体誰じゃ。見たことのない婆さんじゃが・・・」と尋ねますと、
「私は亀井六郎の乳母じゃが、お盆で戻っても水一杯誰も供えてもらえぬ。水をたんとよんどくりゃ、六郎にも水をやっとくりゃ・・・」と言って消えました。
 若者はさっそく有志7人で立派な供養塔を作り、公園として整備したということです。また、この墓の脇には昔大きな石があり、『朝日さす夕日かがやく 黄金石 黄金小判で七くさり半』の歌と共に、大石の下に小判が埋めてあると言い伝えられています。
 今ではこの大石は、尾張富士の5合目に献上されてしまい、その跡に歌を刻んだ石が建てられて当時を偲ばせています。
(注意)亀公園は民有地のため、一般公開はされていません。