本文にジャンプします

截り通し岩(きりどおしいわ)

更新日:2013年12月4日
 昔、中仙道の脇道として、土田の宿、善師野の宿を結んで犬山へ通る道がありました。お伊勢まいりや、善光寺まいりの人で、途中にある石原の真禅寺は、門前町としてにぎわっていました。このお話は、それよりもっと昔のお話です。
 昔々、この道はとてもせまく木こりが通る道で、下を流れる石原川も菅刈川も、水かさは今よりずっと多く、大きな岩の下はいつもうずを巻いていました。
 そんなころのある日、汗やあかに汚れた結び袈裟を着て破れた笈を背にし、みすぼらしい法螺貝を腰につけた修験者がこの道を通りましたが、村の衆は誰も気にもとめませんでした。
 ある日のこと、隣村の土田荘へ出かけた者が、村に帰ってこんな話をしました。
「この間通ったあのおんぼろ行者が、小天神の谷で焚きもん作っちょるで・・・」
 また数日たって、今度は土田荘からきた者が、こんな話をしました。
「小天神の谷の行者がたくさんの焚き物を大岩に積んでいるぞ」
 あくる日、めずらしく思った村の者が、小天神へ修験者を見に行くと、それはそれはたくさんの焚き物が、大岩を背に高く積み上げてありました。村の者は修験者をばかにして、なんのまじないかと聞くと、
「岩を截る」と修験者は無愛想に答えました。
「鉄のノミで割れなかった岩を、焚き物で截るとよ」と村の者は笑いました。
 そのまたあくる日、村の衆が連れ立って修験者を見に行くと、修験者は護摩をたいて呪文を唱えていました。その内に護摩火を高く積んだ焚き物に移すと、恐ろしいくらいに火はだんだん大きくなり、大岩の肌を走り燃えました。修験者は一心不乱に呪文を唱え続け、五、六時間たって、焚き物は燃え尽き火は消えました。村の人達もいつの間にか村へ帰り、誰もいなくなっていました。
 数日後そこへ行ってみると、岩は大きく截りとられ、人が通える道になっていました。村人も旅人も、今までのように危なくなくなり、歩きやすい道になったと、大変喜びました。それからはこの道を「截り通し」と呼び、そこの岩を「截り通し岩」と呼ぶようになりました。