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神明さまの大ヒノキ

更新日:2013年12月4日
 むかしな、塩村(今の春里)の打越ちゅうところに、円蔵という伐子(きりこ:きこりのこと)が住んどったそうや。円蔵はな、ひどうお人好しじゃったが、それとおんなじくらい、どえらななまかわ者やった。
 ある年のこと、本村の中切村でな、この村はずれにある神明さまのお社がえろう古うなったもんで、新しく建て替えたほうがええちゅう話になったんや。
 そやけど、お社の建て替えには、どうしても社の前にある大ヒノキがじゃまになるんや。この大ヒノキを切り倒すちゅうことは、お社がぶっつぶれちまうか、鳥居が折れちまうことになるで、村の衆はひどう困っちまった。
「そんなことしよると、神様がたたらっせるかもしれんぞ」
「やぶさめやる時の馬場が、けがれたらだちかんぞ」と、村の衆は口々に言って、だあれも伐る人がおらへなんだ。
 こんな評定が続いとった時、隣村の円蔵がこの話を聞いちまった。いつもぶらぶらしとった円蔵は、どういうふきまわしか、中切村の惣代さまに、
「わしに伐らせてくんさい」と頼んだんやと。
 そやけど、惣代さまも村の衆も、なまかわな円蔵をだあれも信用しやへなんだ。それでも円蔵は伐りたいばかりで、なんべんもなんべんも惣代さまに頼んで、神明さまにお百度をふんだげな。
 あまりのしつっこさに、村の衆は円蔵に大ヒノキを伐ることを許したそうな。
 こうしてとうとう神無月(旧暦の10月)のある日、円蔵は大ヒノキを伐ることになったのじゃ。村の衆が大勢見守っとるなかで、お社と鳥居のちょこっとの間をはかって、たつみ(東南)の方向にねらいを定め、伐り始めた。
 みんながはらはら見とるなかで円蔵は、ねらいを三寸(約10センチ)と狂わせずに、大ヒノキを伐り倒したのやった。
「たいしたものやなあ、円蔵は」みんなはびっくりこくやら、感心するやら。
 それから村の衆は、「伐子の円蔵さ」と呼ぶようになったし、円蔵もそう言われるだけのえらーい、えらーい伐子になったちゅうこっちゃ。
 伐り倒した大ヒノキは、木挽きが板にして、今でも神明さまの渡殿の床として残っているのやよ。