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Kルートをゆく~モデルコース13(その2)~

更新日:2015年3月30日
国史跡!美濃金山城跡に入城する
このモデルコースのメインの一つである、美濃金山城跡に向かいます。美濃金山城は1537年に斉藤道三の養子、正義によって古城山の山頂に築城された本格的山城で、烏峰城(うほうじょう)と呼ばれていました。
1561年に森可成が尾張統一戦の功により、信長より美濃攻略の重要拠点としてこの城を賜り、以後35年の間、森家4代の居城となっていました。拡張整備された金山城は、石垣を配した堅固な縄張り、五三の桐紋瓦をあしらった豪壮な城であり、その雄姿は森家を象徴するにふさわしい堂々たる風格に満ちていたそうです。
時代は下り森家が国替となった後、この城は戦略的な意味合いが無くなり解体され天守・御殿・諸櫓に至ることごとくが、現在の犬山城に移築されたと伝わっています。
その後、古城山(276メートル)山頂にある城跡には往時の曲輪や破城の痕跡を残す石垣、礎石など、400年以上の時を経て戦国時代のそのままの姿をみることが出来る貴重な史跡となり、2013年、国史跡に指定されまし た。
さて、そんな貴重な美濃金山城跡を見学するため、まずは第一駐車場の北側の道から登っていきます。

石畳が期待感を高めます。

少し上るとすぐに案内標識がありますので、今回は金山城跡を指してる方へ向かいます。

左折します。

左折後も整備されて道を歩き続けます。280メートルほど進むと、しきぶの径という開けた場所に出ます。そこから北上し120メートルほど進みますと出丸跡に到着します。

落花したツバキと石畳が絵になります。

出丸は金山城第一線の防御施設です。主郭から独立して設けられる出丸は、安土桃山時代の関西地方の城郭に多いそうです。

出丸跡からの景色です。

出丸跡を通過し、180メートルほど歩きますと、物見の櫓(展望台)に到着します。

ここからかつての中山道太田宿や猿啄城を見渡すことができます。

物見の櫓から50メートルほど戻ると、本丸に通じる階段があります。

いよいよ本丸に突入です。

本丸までへの道のりは足場の悪い箇所もあるため、山登りに適した格好がお勧めです。途中、三の丸、二の丸、枡形虎口などを見ながら進んでいきます。

二の丸西面石垣は野面積みという積み方で造られています。

枡形虎口の手前に石碑が建っています。

二の丸跡です。各所に説明看板が設置されています。

雰囲気は良いですが歩きやすいとは言えませんので、スニーカーをお勧めします。

本丸は天守があった場所で四方に石垣を築いていました。発掘調査で本丸の南斜面では石垣の最下部が確認されましたが、深さは現在の地表面より1.5メートル以上下で、現状で見るよりも高く豪壮な石垣であったことが分かります。

周りには多くの礎石があり大きな建物があったと思われます。

天守台にある社の隣にはオオウラジロノキは県指定の天然記念物であり、高さは17メートルほどあります。

オオウラジロノキの地方名はヤマナシといいます。

本丸から見る木曽川は格別です。

本丸の裏(北東)は道が整備されており、米蔵跡や蘭丸ふる里の森に行くことができます。今回はぐるっと回り、蘭丸ふる里の森に戻りました。

児童公園と案内がある方に行くと米蔵跡に出ます。

壁一面にショウジョウバカマが咲いているところがあり、綺麗でした。

蘭丸広場の千本桜は開花の時期にぜひ見ていただきたいです。

モデルコース13「森蘭丸ゆかりの城下町、美濃金山城跡を散策する」
森蘭丸のゆかりの城下町には寺院や豪商ゆかりの地など多数の見どころがあり、飽きることなく巡ることができます。ただし、道路が狭いところや足場の悪いところもありますので、無理をせず安全に楽しんでいただきたいと思います。

兼山地区センターにはシャチホコがついてます!

【今回の移動の様子】

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