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くぐりひめ

更新日:2018年5月24日

くぐりひめ

 むかしも、むかしも、ずうっとむかしのそのむかし。
 山の奥のそのまた奥に、そりゃあしずかな、久々利という里があってのう。
 そこには、八坂入彦という大そうえらいお人が住んでおらしたのや。
 入彦さまには、やさしゅうてその上ひどううつくしいふたりのおひめさまがあってな。あねさまを入媛さま、いもうとさまを、弟媛さまといったんや。
 そのうつくしさといったら、目がさめるほどで、その里ばかりか、ずっと遠くの村にまで、人びとのためいきがつたわっていった。
 そのうわさは、やがて遠い遠い、奈良のみやこのミカドのところまで、聞こえていったそうや。

 ある年の二月のこと。
「ほう、そんなにうつくしいひめじゃと? わしもぜひみたいものじゃ。」
と、ミカドがもうされて、大ぜいのお供をつれて、この里に、おいでになることになったのや。
 あまりとつぜんのことなので、里の人たちはびっくりして、
「わしらのとこへ、ミカドがおいでるげな。」
「そうや、こんなありがたいことはないのう。」
「りっぱな御殿でも造ってさしあげにゃ、いかんのう。」
「御殿には、水鳥もかようてくるような、大きな池も、造ってさしあげにゃのう。」
と、それはそれは、たいへんなさわぎになった。

 いよいよ、ミカドがおいでになる日がきた。山をいくつもいくつもこえ、川をわたって、野をこえて、まぶしいばかりの輿にのって、ミカドは、はるばる久々利まで、おいでたのじゃ。
 ところが、その行列があまりにも、ながかったので、じいっとみつめておらしたおひめさまは、びっくりしてしまわれた。
 そして、見られるのは、はずかしいと、うちの中にかくれてしまわれ、だれがよんでも、けっして外には、でられんようになってしまわれたのや。
「ミカドが、せっかくおいでくだされたのに、ひめがかくれてしまっては、どもならんこっちゃ。こまった、こまった・・・。」
みんなが案じていると、ミカドが、
「そうじゃ、この池に、コイをおよがせい。この世にまたとないようなコイを、うんとな。」
「は、はあー。」
 村びとたちはやがて、池に金色・赤色・だいだい色・黒色など、大小さまざまなコイを、かぞえきれぬほどたくさんおよがせたのじゃ。
 ミカドは、毎日毎日池のほとりにでて、手をうちならしてコイを呼び、たのしそうにしておられた。
 あまりにも、そのようすが、おもしろそうなので、いつしかひめたちも、タケの林ごしに、じっと身をかくすようにして、ながめておられた。あるよく晴れた日に、
「あね君さま、ミカドがあのようにたのしんでおられる池のコイ。
 きっとすばらしいでしょうね。わたしたちも、ぜひ見たいものです。」
と、すこしずつ、すこしずつ池のそばに、近ずいておいでたのじゃ。
「それっ!」
とばかり、けらいたちが、うしろから横からとびだしてきて、ひめたちを、とりおさえてしまわれた。
 ところが、あねの入媛さまは、じょうずにその手をくぐりぬけて、にげてしまわれたそうや。
 弟媛さまは、おそろしさで、ひとりぶるぶるふるえていなさった。
「そなた、弟媛ともうすのか?」
「・・・・・。」
「しんぱいせんでもいい。もっと近こう寄れ。」
 ミカドのやさしいおことばに、弟媛さまは、すこしずつおちつきをとりもどされたわな。
 いっぽう、ミカドは、うわさにたがわず、ひどううつくしいひめに大よろこびされ、くる日も、くる日も、弟媛さまをつれて、山や 川でたのしくあそばれたのじゃ。
 弟媛さまもまた、ミカドのやさしさに、しだいしだいに心を寄せられ、月日をわすれて、しあわせな日を送られたそうやわな。

 やがて、ミカドがみやこに帰られる日がきた。
「弟媛よ、そなた、わしといっしょに、みやこへ帰ってくれぬか?」
 ミカドからのたっての願いに、心のやさしい弟媛さまは、
「わたくしには、入媛というあねがあります。わたくしより、ずっとずっとうつくしく、気品の貴い方です。どうぞあね君さまを。」
ともうされると、へやの中に走り去って、戸を閉めきり、ひとりなみだをながされたのじゃ。
 父君の入彦さまも、かねてから、
「あねを、さておくことはならぬ。」
と、きつくもうされていたので、数日の後、ミカドは、あねの入媛さまをつれて、みやこにのぼられた。
 それからというもの、この弟媛さまは、へやに閉じこもったままで、だあれも見かけることはなかったちゅうことやわな。

 しばらくしてからのことや。
「おれな、日のくれがた、奥磯山のふもとで、ひめさまに出おうたわいな。」
「わしも、出おうたわ。けどなんやらへんやったのう。」
といううわさがたちはじめた。
 日が西の山にしずむころになると、弟媛さまは、髪をふりみだして、山を歩かれ、やがて月がのぼるのを見ては、さめざめと泣いていなさるというこちゃった。
 みやこのあね君と、それに、ミカドにもきっと、恋しい思いをされたんやわなも。
 それも、日がたつにつれ、気も狂わんばかりになられた。
 ある夕方、髪をみだし、まるでとりみだしたひめが、山歩きをしておられるすがたを見たなり、それからはだあれも弟媛をみかける人がいなくなったそうな。なんでも、大きな大きな蛇がでてきて、ひめを、山奥の洞につれ去ったといううわさもたったが、ほんとうのことは、だあれにもわからんわの。