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泳宮(くくりのみや)

更新日:2019年6月3日

泳宮(くくりのみや)

久々利には、古代の史跡として古くから語り継がれてきた泳宮がある。
『日本書紀』の「景行天皇(第12代天皇)四年春二月甲子條」によると、景行天皇が美濃に行幸して滞在した際、八坂入彦命の娘で美人の弟姫(おとひめ)を見初め、池を造り、鯉を放って弟姫を呼び寄せた。弟姫は、自分より美しく気立ての良い姉の八坂入媛(やさかいりひめ)がふさわしいと、姉に后の座を譲った。八坂入媛を后にし、七男と六女を産み、第1が稚足彦天皇(わかたらしひこのすめらみこと:第13代天皇)という。この記述にある、池を造り弟姫と出会った場所が泳宮であるとされている。
 泳宮の史跡は古くから言い伝えられてきたようであるが、国学に明るかった久々利千村氏の九代千村仲雄が、文政二年(1819年)に『美濃国泳宮考』を著して以降、広く知られるようになった。その後、千村氏の家臣の櫛田道古が、明治二年(1869年)に『美濃国泳宮略記』を著している。
 史実かどうか分からないが、現在、境内万葉集の歌碑等が建立されており、古代のロマンスの故地とし、久々利の人々は「お姫様」といって親しまれている。

秋の泳宮史跡

くくりの宮の写真1くくりの宮の写真2

くくりの宮の写真3くくりの宮の写真4

万葉集の歌碑

「百岐和 三野之国之 高北之 八十一鱗之宮爾 日向爾 行靡核闕矣 有登聞而吾通路之奥十山 三野之山 靡得 人雖踏 如此依等 人雖衝 無意 山之奥磯山 三野山」 
(ももしね みぬのくにの たかきたの くくりのみやに ひむかに ゆきなびかくを ありとききてわがかよいじのおきそやま みぬのやま なびけし ひとはふめども かくれよと ひとはつけども こころなき やまのおきそやま みぬのやま)
万葉集の歌碑の写真

くぐりひめの伝承(むかし話)