本文にジャンプします

六角堂【魚屋町】

更新日:2024年3月12日

六角堂 曲所(まがり)

 六角堂は創建年代は不詳ですが、室町時代1500年代ではないかと考えられます。
 本町と魚屋町の境にあり、曲所と呼ばれています。なぜ曲所と呼ばれたかは、今から100年以上前に明治時代に現在の様にまっすぐに道路が改修されるまでは、急な角度で曲がっていたからと言われています。これは、城下に攻め込む敵が真っすぐに進めないようにする工夫だったのではないかと考えられます。

六角堂

六地蔵

 六角堂には木製の六体のお地蔵様が祀られています。このお地蔵様を六地蔵と呼びます。六地蔵は、大抵お墓の入口に安置されていたことから、ここが兼山の入口だったとも考えられます。六地蔵は死後の世界に旅立つ死者を守ってくれると信仰さ六地蔵の六は、六通りに生まれ六地蔵の六は、六通りに生まれ変わる六道輪廻(ろくどうりんね)のことです。

 ①天道  日光地蔵      天人が住む世界

 ②人間道 除蓋障(じょがいしょう) 地蔵(人間が住む世界)

 ③修羅道 持地(じじ)地蔵  終始争いあう世界

 ④畜生道 宝印地蔵      牛馬など畜生の住む世界

 ⑤餓鬼道 宝珠地蔵      飢えと渇きに悩む世界

 ⑥地獄道 檀陀(だんだ)地蔵 まさに地獄の世界

六地蔵

     ↑六角堂の中に祀られた六地蔵

石の地蔵 伝わる昔話

 六角堂のそばにある一番小さな石のお地蔵様は、寺ヶ峰にあったものと言われています。大昔、この曲所に真夜中になると怪しげな小僧が現れ、道行く人を困らせていました。この話を聞いた蘭丸が、その怪しげな小僧を退治しようと城を抜け出し曲所まで行き、なぜ人々を困らせるのかと小僧に尋ねました。小僧は、寺ヶ峰から来たことや、山の上は人々が寄り付かず寂しくこの曲所が気に入ったと話しをしました。実はこの小僧は、寺ヶ峰にあった可成寺の山門に立つお地蔵様でした。翌朝、蘭丸は母妙向尼に相談し、お地蔵様を寺ヶ峰からこの地に移しました。そして、六角堂を建立し供養しました。それ以来、小僧は現れることはなく、城下町兼山は栄えたと言われています。