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米蔵跡 氷室跡 米蔵遺跡広場【本町】

更新日:2024年3月12日

米蔵跡

 美濃金山城が築城された時期と同じ1500年代に金山城7万石の年貢米を貯蔵する米蔵が造られ、江戸時代には代官所があったと伝えられています。美濃金山城域では最も大規模な石垣(野面積)で、高さ6m、長さ40m程あります。しかし、米蔵のためだけにこのような大きな石垣が築造されたとは考えにくく、金山城に通じる登城路があったことから、登城する来客などを迎える屋敷があったのではないかと考えられています。

氷室跡

 米蔵跡地は明治時代になってからは、天然氷を作るための製氷池が5つありました。明治中期から昭和21年まで天然氷の製造が12月から2月に行われていました。この氷は、「金白水の氷」と呼ばれ、業者間で珍重され、船で木曽川を下り、遠くは笠松、桑名方面へ運ばれていました。そのため氷の貯蔵庫である氷室がありました。

米蔵遺跡広場

 かつては、米蔵跡地の石垣の前は深い竹藪に覆われ、その全景を見ることができませんでしたが、平成28年に可児市が竹藪を伐採し、大規模な石垣が出現し、見ることが出来ようになりました。翌年平成29年には、兼山夏まつり「美濃金山城下ぶらり歩き」が開催され、おまつりのメイン会場となりました。石垣を照らすたくさんの竹あかりアートがライトアップされました。金山城主森家の家紋である「鶴丸」をモチーフにした大きな竹あかりアートがひと際目をひき、来場者を楽しませてくれました。

 しかし、その後は広場の整備が行き届かず荒廃が進みます。そして、「なんとかしたい」という有志の会や多くの方のご協力をいただき、整備事業が進められ、現在の美しい公園となりました。古城山 山ろくの緑豊かな場所で歴史を感じ、訪れる人の癒しとやすらぎの広場となっています。この広場では、イベントなどでも活用することができます。

伐採前伐採直後

          ↑伐採前                   ↑伐採直後

現在

                      ↑現在