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戸立観音堂【魚屋東町】

更新日:2024年3月12日

戸立観音堂(とたてかんのんどう)とは?

 戸立観音堂は室町時代の嘉𠮷文安年間1441年~1448年に創建されました。現在の建物は、1642年に再建されたもので、平成4年に修理をされました。 如意輪観世音菩薩像(にょいりんかんぜおんぼさつぞう)と弘法大師像が安置されていて、1538年、烏ヶ峰城(金山城)城主 齋藤正義が参詣した記録があります。

 当堂宇の守護寺として、1505年に大通寺が創建され、以来、大通寺が管理しています。

戸立観音堂

見どころ

 観音様の厨子の下と横に、岩井戸と言われる巨大な甌穴(オウケツ=ポットホール、直径約2m、深さ2.5m)があります。これはこの地に大昔、流れ渦巻く木曽川の底だったと想像されます。不思議なことにこの岩井戸の水は、どんな日照りが続いても枯れず、大雨の後も水かさが増えることもなく、いつも美しい水が溜まっていると言われています。天井絵も残っており、兼山に残存する最古の木造建造物と言われています。

戸立観音堂に伝わる昔話

 今から580年ほど前は、兼山は中井戸村と呼ばれていました。その村に悪い病気が流行って次々と多くの村人が亡くなっていきました。村長の善六さんは、一日も早く悪い病気がおさまるようにと、不思議な力があると言い伝えられている岩井戸様の前で、毎日朝晩欠かさずお経を読みました。ある晩、お堂の扉が開き綺麗な衣を着た女の人が現れました。「善六さん、あなたの厚い信心の心に免じて、願いを聞き届けましょう。」と言われ岩井戸の扉を閉めて姿を隠されました。その後、村に流行っていた悪い病気はみるみる治まっていきました。

 それから、悪い病気から救ってくださる観音様としてたくさんの人々の信仰を集めるようになり、観音様が戸を閉めてお堂の中にお入りになったことから、戸立観音と言われるようになりました。また、どんな病気や怪我でもお参りすれば、観音様が悪いことの前に戸を立てて救ってくださると言われるようになり、戸立観音と書くようになったそうです。

7年に1度のご開帳

 7年に1度、可児市指定重要文化財に指定されている如意輪観世音菩薩半跏像 木造金泥塗がご開帳されます。直近ですと、令和5年4月にご開帳されました。ご開帳の日は、本尊(秘仏)から善の綱を繋いだ回向柱(えこうばしら)も立てられ、触れることができ、堂内に上がり拝観もすることができます。次回は令和12年の予定です。

戸立観音堂戸立観音堂

       ↑令和5年4月 ご開帳の時の写真