更新日:2023年4月1日 会席を彩る上品な色合いの黄瀬戸 漆黒に引き寄せられる瀬戸黒 初めて筆による「絵付け」が可能となった志野 色彩豊かで様々な形が見られる織部 豊臣秀吉が政権を握ったころ、茶の湯などに使われた陶器を桃山陶と呼びます。 中国やヨーロッパから陶磁器が入り、新しい文化との交流に触発され、安土桃山時代、岐阜県の美濃地方(現在の可児市久々利など)で新しく釉薬の掛かった焼き物が誕生します。さまざまな色彩を放つ器が焼かれ、茶の湯の浸透とともに商人や武将など多くの人を魅了しました。美濃桃山陶は、日本陶磁史の画期的存在であり、最も斬新な焼き物ともいわれます。また、わずか20年~30年の間しか焼かれませんでしたが、日本美術の転換期に開花し、当時の人々の美意識に変革をもたらしました。 久々利大萱で桃山時代の志野の窯跡を発見し、その再興に尽くしたのが人間国宝の荒川豊蔵(1894-1985)です。 荒川豊蔵が志野の窯跡を発見するきっかけとなったのが、名古屋の旧家所蔵の‘志野筍茶碗’です。荒川氏は、この茶碗を手にしたとき底にこびりついた米粒ほどの赤い土を発見しました。この赤土が瀬戸にないことから、志野は瀬戸で焼かれたという定説に疑問を持ちました。そして、地元の多治見や可児の窯跡を調査し、ついに久々利大萱で筍の絵のある志野の陶片を発見しました。この発見は「日本の陶磁史を覆す大発見」といわれています。 この発見から3年後の昭和8年(1933)、豊蔵39歳の時に大萱に窯を開き、以来志野や瀬戸黒を再興することに半生を捧げ、昭和30年、61歳のとき人間国宝に認定され、昭和46年には文化勲章を受章されました。 大窯は15世紀後半から造られました。地表をある程度掘りくぼめ、傾斜を利用しつつ床面を造り、粘土等で天井や壁を築いた窯跡です。以前の時代より製品を焼く温度が高くなり、釉薬をかけた多くの製品が焼かれます。窯の横側に製品の出し入れ口がつき、便利になりました。 ・焚口・・・・焚木の投入口 ・燃焼室・・・焚木を燃やす部屋 ・焼成室・・・陶器を焼く部屋 ・煙道部・・・煙が出るところ ・分炎柱・・・炎を左右にわけ、天井を支え温度を高める役目 ・昇炎壁・・・炎を上へ吹き上げるために設ける ・小分炎柱・・炎を左右にわけ、温度を高める役目 ・障壁・・・・仕切り。温度を高める役目 ・色見穴・・・焼成の観察や瀬戸黒の引き出しのために設けた穴 1 牟田洞古窯跡試掘調査 ・平成25年度 ・平成26年度 2 窯下古窯跡発掘調査 ・平成25年度 ・平成26年度 3 弥七田古窯跡発掘調査 ・平成27・28年度 平成25年度 ・8月23日~10月2日 牟田洞古窯跡の試掘調査 ・9月20日 第2回 大萱古窯跡群指導委員会 ・9月22日 牟田洞古窯跡 試掘調査現地説明会 ・12月9日~11日 窯下古窯跡の磁気探査 ・12月23日 第3回 大萱古窯跡群指導委員会 ・平成26年3月4日~24日 窯下古窯跡の試掘調査 平成26年度 ・7月6日 第4回 大萱古窯跡群指導委員会 ・8月18日~10月14日 牟田洞・窯下古窯跡の試掘調査 ・9月6日~10月26日 岐阜県現代陶芸美術館にて『大織部展』開催 (卯花墻が展示される) ・9月14日 牟田洞・窯下古窯跡 試掘調査現地説明会 ・10月3日 第5回 大萱古窯跡群指導委員会 ・10月13日 現陶「大織部展」関連企画 鼎談 「美濃焼と織部を語る」 ・12月1日~3日 弥七田古窯跡の磁気・レーダー探査 平成27年度 ・6月21日 第6回 大萱古窯跡群指導委員会 ・8月17日~10月9日 弥七田古窯跡の試掘調査 ・9月20日 弥七田古窯跡試掘調査現地説明会 ・9月27日 第7回 大萱古窯跡群指導委員会 1 美濃桃山陶に関する書籍の紹介 ・荒川豊蔵 『陶器全集4 志野』 平凡社 ・荒川豊蔵 『縁に随う』 日本経済新聞社 1977 2 美濃桃山陶を所蔵している美術館・博物館の紹介 ・東京国立博物館 ・三井記念美術館 ・五島美術館 ・根津美術館 ・徳川美術館 ・湯木美術館 3 美濃桃山陶に関する動画の紹介 ・随縁~人間国宝・荒川豊蔵~ ・荒川豊蔵資料館再オープン1 ・荒川豊蔵資料館再オープン2 ・豊蔵志野 挑戦から創造へ ・美濃桃山陶講座1 ・美濃桃山陶講座2 ・美濃桃山陶講座3 ・美濃桃山陶講座4(最終回) 4 現地説明会資料 ・平成25年度牟田洞古窯跡発掘調査(pdf 776KB) ・平成26年度牟田洞古窯跡・窯下古窯跡発掘調査1(pdf 727KB) ・平成26年度牟田洞古窯跡・窯下古窯跡発掘調査2(pdf 250KB) ・平成27年度弥七田古窯跡発掘調査(pdf 1133KB) 可児市役所 経済交流部 歴史資産課