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歴史が息づくまち

更新日:2021年12月18日

その1:明智光秀のふるさと ~明智荘~

 現在の可児市東部には、かつて明智荘(あけちのしょう)とよばれた荘園が広がっていました。

 明智光秀はここを治めていた土岐氏の一門である明智氏の出身とされています。

 この地域には、光秀が生まれ落城するまで約30年を居住したとされる明智城跡や産湯の井戸跡、

 明智氏歴代の墓所をはじめ日本最大の光秀の位牌などが祀られている天龍寺があります。

 

 

その2:山城のまち ~戦国時代の10の山城跡が残る~

市内には、織豊系城郭のモデルケースである国史跡 美濃金山城跡をはじめ10もの山城跡があり、

地元住民で組織する山城協議会により、保存、整備がされています。

 2019年には、全国山城サミットが開催され、多くの山城ファンが可児市を訪れました

山城のまち可児山城ガイドブック

 

 詳細はこちら⇒ 山城のまち可児市(特設サイト)

 

その3:美濃桃山陶の聖地

 美濃桃山陶は、長い間、愛知県瀬戸市で焼かれたものだと考えられてきましたが、昭和5年(1930年)

 に荒川豊蔵が、可児市久々利大萱の牟田洞で志野筍絵の陶片を発見したことで、本当の産地が可児市で

 あることが分かりました。

 豊蔵はその後、久々利大萱の牟田洞に居宅を構え、志野や瀬戸黒などの復興に尽力し、昭和30年に

 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。

 現在も、可児市久々利には、多くの陶芸家が住んでおり、日々作陶に励んでいます。

美濃桃山陶の聖地

 

 詳細はこちら⇒ 美濃桃山陶の聖地・可児(特設サイト)