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【古刹めぐり】 薬王寺、泳宮古跡、西山謙之助生誕の地、八坂入彦命墓、西念寺、専養寺、浄音寺、大通寺

更新日:2020年3月31日

薬王寺(薬師如来坐像)

一木造りの巨大な仏像
像高4.32mを誇る、クス材一木造りの仏像。市内の仏像の中でも、出色の存在です。量感あふれるふくよかな表情で、彫眼や寄木工法などに平安時代の特色が表れています。 【通常時非公開】

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泳宮(くくりのみや)古跡

古代ラブロマンスを秘めた史跡
久々利地内に残る泳宮(くくりのみや)古跡は、今から約1800年前、景行天皇が美濃へ行幸した折に設置した仮宮が、現在の泳宮古跡です。日本書紀によれば、天皇は滞在中、地元の八坂入彦命の娘を見初め、妃にしたと伝えられています。

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  • 泳宮(くくりのみや)古跡地図

西山謙之助生誕の地

西山謙之助は勤皇の志士として倒幕運動に参加し、23歳で幕府軍の狙撃を受け戦死しました。久々利にある土塀に囲まれた家が生誕地です。

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  • 西山謙之助生誕の地地図

八坂入彦命墓

八坂入彦命は、この地方を支配した豪族の一人。
一説には、第十代崇神天皇の皇子とも言われており、その陵墓が八剣山の南麓を背にして静かに建ち、訪れる人をはるかな古代へと誘います。

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  • 八坂入彦命墓地図

西念寺(さいねんじ)

梅渓中将左衛門尉兼行の建立と伝えられる寺で、もともとは対岸の牧野村にありました。その後兼山へ移り、1619年西念寺と号するようになりました。明治天皇の離宮を手掛けた名古屋の名工、宇野林平によって造られた庫裏が見事です。また、第七世祐誓代の天文21(1552)年本願寺第10世證如上人より下付の阿弥陀如来御絵像、江戸時代前期の玄獎三蔵図等が残されています。

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専養寺(せんようじ)

1598年に日見上人がこの地に庵を結んだのに始まります。小早川秀秋の家老で、徳野(可児市)一万石に封ぜられた平岡石見守頼資の墓、江戸時代中期の豪商で代々兼山の宿長を務めていた山本藤九郎一族の墓などが立ち並んでいます。山本藤九郎歴代の墓石は、現在、市指定有形文化財に登録されています。

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浄音寺(じょうおんじ)

1544年に知恩院塔頭智安上人によって開かれました。ここには兼山に初めて城を築いた烏峰城主斉藤大納言正義の画像が伝わっています。この画像は戦国武将の肖像画の中でも、迫力があり、写実性と独自の誇張とを併用している傑作として知られています。その外、斎藤大納言正義の遺品といわれる哀甲(きこみ)、正義の五輪塔、烏峰城の裏城戸門を移築したと伝えられる山門、播隆上人の自画像と南無阿弥陀仏の名号軸等、貴重な文化遺産が数多く残されています。

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大通寺(だいつうじ)

兼山最古の寺で、1505年、大仙寺大雅和尚によって創建されました。臨済宗妙心寺派に属し、本尊は木造座像釈迦如来。この寺に残っている青銅製燭台と花瓶は県の重要文化財に指定されています。すぐ隣には美濃西国33カ所の三十番札所で33個の石仏が並ぶ戸立観音があります。

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