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【戦国史跡めぐり】 常照寺、可成寺、森立寺

更新日:2020年3月31日

常照寺(じょうしょうじ)

森家の家老であった林長兵衛為忠によって建立されました。開山は妙向尼の末子暮久と言われています。有髪と法体の二幅の妙向尼の画像や、乱丸が愛用したといわれる槍の穂先か残されています。妙向尼は金山城主森可成の妻であり、乱丸の毋でもある人物で、信長と石山本.願寺との和睦に尽力したことでも知られています。また、 妙向尼画像(法体・有髪)各一幅と妙向尼墓所は、市指定文化財に登録されています。

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可成寺(かじょうじ)

妙向尼が、江州宇佐山の戦いで戦死した夫・森可成の菩提を弔うため長可を開墓とし、栄厳禅師を請して創建した森家の菩提寺です。乱丸をはじめ可成、長可、坊丸、力丸の墓があります。また、森武蔵守長可の画像や着用したといわれる脛当(県指定文化財)が残されています。またその他に、森武蔵守長可公画像、森三左衛門尉可成公墓石、森武蔵守長可公墓石、森乱丸・坊丸・力丸公墓石が市史跡に登録されています。 

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森立寺(しんりゅうじ)

1567年、森長可の乳母お立が可成に御願いして、自分の信仰する法華宗の一卯院日好上人を開山に迎えて、開いた寺院です。松栄山森立寺と号しましたが、江戸時代に山号を妙法山と改めました。このお寺の裏から木曽川の対岸を見渡しますと、江戸時代初期まで大きな岩に綱をはって木曽川を下る流木を止め、いかだに組んだと言われる綱場趾が眺められます。当寺には、鬼子母神像、釈迦無牟仏、多宝如来などのほか、たくさんの貴重な木造仏が安置されています。

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