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「美濃桃山陶の聖地・可児」特設ページのご案内

更新日:2021年5月21日
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「美濃桃山陶の聖地・可児」特設WEBページURL

http://www.minomomoyamato.jp
※English version is also available on this website.


美濃桃山陶とは ー
 日本の陶磁史上最も華やいだ時期といわれる安土桃山時代。その時代に可児をはじめとする東濃地方で焼かれた陶器が、美濃桃山陶です。その中には、大きく「黄瀬戸」、「瀬戸黒」、「志野」、「織部」といった種類の焼きものが含まれます。 美濃桃山陶は長い間、愛知県瀬戸市で焼かれた、いわゆる「せともの」と考えられ、「黄瀬戸」や「瀬戸黒」と呼ぶ名称にその名残があります。
 中でも、16世紀末に生まれた「志野」は、日本で初めて白い釉の下に筆で絵や文様を描いた焼き物です。装飾性が豊かで、半透明な釉に浮かぶ斬新な鉄絵の面白さは、茶人を虜にし、隆盛を極めました。

国宝の茶碗が焼かれた地 ―
 特筆すべきは、可児市久々利大萱の牟田洞古窯で、国宝の志野茶碗 「銘 卯花墻」(三井記念美術館所蔵)が焼かれたといわれていることです。「志野」は、国宝や重要文化財に指定されている名品も多く、まさに美濃桃山陶を代表する焼きものといえます。

荒川豊蔵と美濃桃山陶 ―
 美濃桃山陶のひとつ、「志野」の本当の産地がわかったのは、昭和5年(1930)に荒川豊蔵が、可児市久々利大萱の牟田洞で筍の描かれた「志野」の陶片を偶然に発見したことによります。 その後、荒川豊蔵は、美濃桃山陶復興に尽力し、「志野」、「瀬戸黒」の技術で重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定、文化勲章を受章するなど、その功績が今日に至るまで称えられています。
そして現在 ―

 平成22年(2010)に「瀬戸黒」で人間国宝に認定された加藤孝造氏も久々利で作陶に励んでいます。 また、現在も、20名ほどの陶芸家が可児市を拠点に、作陶に励み、安土桃山時代からの伝統技術の継承、発展を担っています。

 

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