更新日:2021年2月5日
美濃焼
![美濃焼の写真(1)](/secure/7205/90_s.jpg)
![美濃焼の写真(2)](/secure/7205/shino_mukozuke_s.jpg)
![美濃焼の写真(3)](/secure/7205/yahichida_s.jpg)
![美濃焼の写真(4)](/secure/7205/sino_s.jpg)
久々利大平・大萱には、桃山時代から江戸時代にかけ多くの窯が築かれました。ここでは、黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部といった桃山茶陶が焼かれ、戦国武将にもてはやされました。牟田洞古窯や窯下古窯、弥七田古窯などが有名です。
動物化石と植物化石
![カニサイの化石の写真](/secure/7205/kanisai_kaseki_s.jpg)
![フウの化石の写真](/secure/7205/fuu_kaseki_s.jpg)
可児市周辺に堆積する新生代新第三紀中新世(約2,000万年前)の蜂屋層や平牧層からは、サイやウマ、ゾウ、バクなどのほ乳動物の化石が多数発見されています。
考古資料
![銅鐸の写真](/secure/7205/doutaku.jpg)
![長塚古墳の出土品(レプリカ)の写真](/secure/7205/nagatsuka_kohun_syutsudohin.JPG)
木曽川沿いの平坦地には、北裏遺跡や川合遺跡、長塚古墳など多くの遺跡や古墳が立地し、発掘調査がなされてきました。また、久々利地区からは、銅鐸が発見されています。
歴史資料
![大日如来の写真](/secure/7205/dainichinyorai.jpg)
![岡田将監の写真](/secure/7205/okadaDSC02757_s.png)
市内には多くの平安時代の諸仏が伝わり、古くから人と物資の交流が盛んであったことを物語っています。江戸時代には50余りの村々と領主が存在し、久々利に屋敷を構えた千村氏は旗本であり尾張藩家臣という二つの立場を持っていました。