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今古墳群に伝わる「饅頭婆古墳(まんじゅうばばこふん))」

更新日:2021年3月27日

まんじゆう婆(ばば)古墳

むかしむかしの話やがの。
尾張の国の八曽山へいくには、姫の今村を通っていくのが、いちばん便利やったそうや。
ところが、姫というところは、姫の泣き洞というぐらい洞の多いところやで、「ここは、何というところですかな。」と、道ばたの人に聞くと、「へえ、姫やわな。」
「そうですか、ありがとうさんで。」と、礼をいってまた歩くのじゃが、ずいぶんいって、
「ちょっと、おたずねしますが、ここは、何というところでしょうかな。」
「へえ。ここは姫ですわな。」としか、答えてくれぬ。
旅人は、きすぎたのか、まんだいかなあかんのかと、迷って泣きべそをかく。
そんなころにやっと、今村の洞口にたとりつくというあんばいやった。
その洞じゃが、田ばっかりつづいとって、人気のないさみしい道をいかんならん。
てくてく、てくてく歩いて、洞を深くはいると、やっと今村に、たどりつくのじゃ。
ここを過ぎると、いよいよ峠。急な山道になるので、「やれやれ、やっとここまできたか。」と、うーんと腰をのばすんじゃ。

いつのころからか、村はづれの峠の道に、まんじゅう屋が店を出してのう。
ふかしたての、 湯気のたつ、おいしいまんじゅうを売っておったそうや。
旅の人らも、街道からそれて、これからは山へむかうというときやで、まんじゅうを食べて、いっぷくしたのやろうか。

そうやもんで、けっこう繁盛したらしいよ。
旅の人が縁台にやすんで、「まんじゆうを、ください。」と、いうと、「はいはい、いますぐに。」と、返事をしながら、石で作られた穴のようなところから、ばあさまがでて ござらっせる。
旅の人は、びっくりして、「へえ。おもしろい住まいやなあ。しかし、石の穴では、気持ちが悪かろうが…。」と、聞くと、「なあに、冬は暖かいし、夏はひんやりと涼して、そりゃあ住み心地は、いいんな。」と、こたえる。
のんびりとひとりぐらしで旅の人のあいてをしとりゃあ、方ぼうのみやげ話も聞けるしのうと、さも楽しそうにわらうのじゃげなわ。

そのばあさまを、だれとうとなく「石室のまんじゅうばあ」とよぶようになっておったそうやが、いつの間にやら、おらんようにならした。
何せひとりぐらしのことやで、ゆくえをさがす者もおらんで、そのなりやった。
そうやが、そのばあの住んだ石室は、いまも、ぽっかりと暗い口をあけての残っておるがの。
それは、古墳やそうで、いまでは「まんじゅう婆古墳」とよばれておる。

<参考>

この古墳を万寿ババ古墳とも呼び、民話以前より長寿を願う場との由来も考えられます。
丸い円墳が饅頭に似ていたことから、饅頭に関係する民話が作られたかもしれません。

可児のむかし話「可児町民話の会」より