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谷迫間に伝わる「京河(きょうがわ)さま」

更新日:2021年3月27日

京河さまのかえどり

ずっとむかしの話や。
谷週間の山の中なかに「京河さま」とみなが呼よんどった小さな石の神社があった。
その横の谷に、京河さまの池があってなあ。
その池は、みかけは小さいがほんとはふかいという話やった。
木の葉で埋まってまったようにみえとったが、むかしからいっべんも水がのうなったことはなかった、というこつちゃ。

ある夏のこと。くる日もくる日も、雨が降らず、田んぼはひびわれするは、飲み水も足らんようになるしで、みなはとほうにくれてまった。
そこで寄り合っては話し合うたが、ちよっともええ考えがないもんやで、とうとう「こまったときの神だのみや。それよりしょうがないのう。」ということになつた。
そこで、近いところにある神社やお寺をまわつて雨ごいをしたけど、いっこうに ききめがないもんで、京河さまへも、みんなそろっておまいりにいった。
親たちが一心におまいりしとるあいだ、子どもんたは、葉に埋まつた小さな池で遊んどった。
水はちいとしかないと思って、池の水をかえどりして遊びはじめたげなら、池の中がどろどろと動きだし、それはそれほ大きいへビが、にゆうとかまくぴをあげたんやと。
村のしゆうは、びっくりするのなんの。大へんなさわぎとなった。

おまけにその大きな へビが、「お前たちは、なにをそんないっしょうけんめいにたのんでおるんじゃ。」と、ことばをしゃべったもんやから、よけいにおそろしなって、動けずにふるえておったが、やっとその中のひとりが、「この夏、雨がひとつぶも降らず、作物はあかんようになるし、飲み水もおおかたのうなってまい、とほうにくれて、京河さまへ雨を降らせてくださいと、お願いしとりました。」と答えたら、
「そんならこの池を、もうちょっときれいに、かえどりをしてくれ。必ず雨は降らせてやるからな。」と、また池の中へもどりこんでまった。
みんなで、池の主のいったことばどおりに、池をきれいにかえどりして帰ったと。
その夜おそうなって、ポツリポツリと大つぶの雨が降りはじめたときは、村じゆうの人たちが家から飛び出し、よろこぴあったというこっちゃ。

それからは、日照りがつづいたり、水にこまるときは、京河さまの池のかえどりをすると、ちゃあんと雨が降ったそうな。
いまでもその石の神社があるが、工業団地の進出によって、年に一度のお参りの伝統のみが残っているそうじゃ。

<参考>

蛇が田を荒らす野鼠を補食することから「田の神」とされます。
池には水神が宿るとの考えによる民話と思われます。八大龍王は雨乞い神の伝えもあります。


(出典: 可児のむかし話「可児町民話の会」より、末文のみ修正 )