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今に伝わる「大石さま」

更新日:2021年3月27日

大石さま

むかし、むかしのことやがのう。なだらかな山と山の間を通りぬけていくと、ひとつの深い洞があるんやわ。

そこは、今村という部落でのう。
ここに大石さまといわれる大きな石があるんやに。この石のそばに小さい玉石もたんとあるんやよ。この小さい玉石は、大きい石のお供えやというこっちゃ。
むかしこの部落に、善吉というひとりの老人がおらしたそうや。たいそう元気な人で毎日野良仕事にはげんでおったと。

ある年の春、まんだ風の冷たいころにのう。
背中に、ちょっとしたはれものができたんやと。それが日をおって大きゅうなって、医者どのにみてもらったり、神や仏に祈願したが、いっこうに引かなんだんやわ。
あんなに元気だった善吉さも、しだいに気が弱くなっていったんやと。
そんなある日のこっちゃった。痛い背中を後ろ手にさすりながら山仕事に出かけるとちゅう、大きな石のそばを通りかかったんやわ。
「わしのはれものがこの石のように、大きゅうなっちまったらだちかんが、ああ弱ったこっちゃ。どうしたらええやろう。」と、心配でならない善吉さは、この石につぶやきながら、おもわずひざまづいてのう。
「わしのはれものをなおしてちょうだ。もし願いを聞いてちょうだいたら、小さな石をお供えするでのう。とうぞ、おたのもうします。」と、なんどもなんどもくりかえしながら、大きな石をなぜまわし、いしょうけんめいにたのんだんやわのう。

次の日のこと。いつもやったら背中のはれものが痛うて、なかなか起れんのやけど、その朝はいつになく、気持ちのよいめざめだったんやと。

からだがかるうなったようで、大きく手をあげて、朝の空気をいっぱいすいこんだ。そしてせなかへ手をまわすと、
「あれ?」善吉さは、おどろいた。
きのうまであんなに痛んだはれものが、すっかりなおっているのやよ。
善吉さは、きのうまでのしずんだ心はどこえやら。もう、とびあ がってよろこんで、すっかり元気をとりもどさしたそうやに。
「それにしても、とうしてこんなにはよう、なおったんやろう。あんなになんぎしたのに、ありがたいこっちゃったけとも。」と、善吉さは、いろいろ考えさしたが、「ああそうや、きのうお願いしたあの大きい石がなおしてちょうだいたんやわな。きっとそうにきまっとる。」
そう思った善吉さは、ちゃっと約束とおり、小さな石を持ってお礼まいりにでかけやしたそうやに。

大きな石のまわりに、ひとつずつていねいにならべてのう。
「石さま、大石さま。とうもありがとうございました。すっかりなおしておくれんさいて、ほんとうにありがたいこっちゃった。」
善吉さは、大きな石をさすりながら、涙を流して、お礼をいわしたそうやに。
そうしてこのことを村びとに話したそうや。
「あの大きな石をなぜると、はれものが引くそうや。もしはれものが引いたら、お礼に小さい玉石をお供えするんやと。」
このうわさを聞いて、おまいりにくる人がたえなかったそうやに。
山すそにあるこの「大石さま」には、いつも線香の香りがただよい、村びとも、すこやかな毎日やった。

こうして「大石さま」へのおまいりもさまざまな時代をへて、ずっとつづいていたが、いつしかわすれさられていったんやわ。
だいぶんたってからやった。この村にえき病がはやって、十三げんほとの部落のうち、六けんもの家から死人が出て、村じゆう大さわぎになってのう。
村の長老たちがよりあって話しあったんやと。
「これは「大石さま」をそまつにしたたたりやないやろうか。きっとそうにちがいない。」ということになつて、それから村びとは、「大石さま」のまわりを美しく清め、この石をご神体としてだいじにおまつりしたんやと。
毎年ニ月末日にのう、氏子が白装束に身をつつみ、一週間の水ごりをして、身心を清め、のりとをあげて、大そうなおまつりをさしたそうや。
いまでもこの日には赤飯をたいて、お供え物をするおまつりが続いているそうやに。
そしてのう。いまでも、はれもののできた人が、ときにはみえて、玉石をお供えして、お参りしていかつせるそうやよ。

(出典: 可児のむかし話「可児町民話の会」より)