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下切に伝わる「比丘尼岩(びくにいわ)」

更新日:2021年3月27日

比丘尼岩(びくにいわ)

昔、姫川と久々利川の合流しておるところを蜂が尻とよんでおった。
姫の下切にあるこの蜂が尻には深い渕があって、そこにはどても大きな岩がつきでどったそうな。まわりには家とてなかったが、ちょっとはなれたところに、一軒の尼寺がぽつんどあった。
なんとなしにさびしいところやもんで、よぼどの事でもないかぎり人はとおらなんだ。
その尼寺には年とった尼さまと、若いきれいな尼さまのふたりが住んでおった。

ある夜さのこどやった。「こんばんは!こんばんわ。」という声がする。
夜はめったに客があったことがないもんで、なにごとかと、でてみると、
「わたしは、どなり村の庄屋の息子です。速い親類の家へ使いにいった帰りやが、とちゅうで用事をすましておるうちにおそうなり、こんなまっ暗になってしまいました。
近所に家もないし、まことにすまんことやがちょうちんを貸してもらえんやろうかな。」と、戸口で男がいうので、「それはおこまりですの。こんな暗てはどこが道やらわからへんわのう。このちょうちんを使ってちょうだいな。」と尼さまは、心ようかしてやった。

あくる日、その男は、
「おかげさまで思ったより早よう家につけたで助かりました。」とさっそくかえしにきた。

ゆうべは暗てわがらなんたが・身なりもさっぱりしておるし、かんじのいい若者やった。
それからも、二度、三度とやってきて、「あのときのちょうちんのお礼です。」といっで、寺へ野菜をとどけてくれたりしておったが、そのうちに。若い尼さまは、だんだん若者が好きにならした。

が、仏さまにつかえる尼の身では恋をすることはぜったいにゆるされんので、かわいそうにだれにもいえず、ひそかにおもっては、ためいきをついておったと。

そのうちに若者がぱったりとこんようになった。会えなくなるとよけいに会いとうなるもんじゃ。

何どか会うことができぬかと、まい日、そればかり思うておったが、ある日、老尼さまに、となり村までいく用事をいいつかった。

よろこんででかけた若い尼さまは、その帰り、庄屋の家のそばまでいった。

すると、小さな子をだいた男が、家からでてきた。それはたしかにあの若者やった。
若い尼さまはかなしみのあまり、いつのまにか蜂が尻の大きな岩の上にきて立っておった。

しばらくしずかな渕をみつめておったかどおもうと、いっきにとびこみ、深くしずんでいったきり二度と浮き上がってこなんだ。

そのときからその岩は、ときどき女のかなしい声ですすり泣くようになったそうな。
村では若い比丘尼がおらんようになったそのときから、岩がすすり泣くようになったもんで、その岩を「比丘尼岩」とよび、きみわるがって、ますますだあれもよりつかんようになった。

その岩はまた、龍ににた形をしておったので、「比丘尼さまは、渕の主の龍にならしたそうや。」
「なんかよっほどかなしいことがあったんやのう。きのどくに。」
といいあったということや。

年月はどんどんとすぎて庄屋の若者もいつのまにか、うんと年をとったんやが、やがて死なした。

その日のことやった。一天にわかに、かきくもってきたかとおもうと、たった一ぺんだけやったが、ものすごいいなづまが比丘尼岩にむかって走り、その岩から、それはそれは大きな龍が、天をさして、くねくねと昇っていった。
そうしてあの大岩は、あとかたものうなってまったということじや。
「比丘尼さまがとなり村の庄屋さまといつしよに天にのぼらしたのにちがいない。」
「長いこと泣いておらしたにちがいないが、これでしあわせになれるのう。」と、村びどたちは、ロぐちにいいあったと。

<参考>

昔の姫川は現在より可児川に近い所で久々利川と合流し、洪水により現在地になったようです。
昔、岩に残る不思議な足跡(化石)見つけ龍と淵と岩に関する民話が作られたかもしれません。
比丘尼とは出家した若い女性の僧をいいます。


(出典: 資料・可児町史編纂室より)