本文にジャンプします

市長の部屋から(11)「京都と可児」

更新日:2012年2月24日

京都と可児


 先月、京都岐阜県人会の創立110周年記念事業が、京都市内で開催されました。市からも「可児そだち」など特産品を携えて、職員が参加し、可児市をPRしました。
 京都と可児。一見関係が薄いようですが、実は多くの縁(ゆかり)があります。
 久々利の泳宮(くくりのみや)は、景行(けいこう)天皇が八坂入媛(やさかいりひめ)【後の妃】と出会った、天皇家との縁の場所です。室町時代には、織田信長が入京しましたが、信長の母とされているのが土田御前です。
 森蘭丸は、信長の小姓として厚い信頼を受け活躍しました。一方、信長を「本能寺の変」で倒した明智光秀は可児で生まれ、30年近くを明智城で過ごしたとも言われています。
 安土桃山時代には、「茶の湯」という一大文化が華ひらき、それを支えた茶陶の名品は、桃山陶の聖地である可児で多く生み出されました。可児で焼かれた茶陶は、京都に住む多くの武将や商人に、ステータスシンボルとして愛されました。
 私たちの住む可児は、当時、文化・芸術の中心であった京都とつながっていました。そしてこれからも、市民が誇れるまちとして発展するためにも、さまざまな機会をとらえ、可児市をアピールすることが重要だと考えています。


  • 景行天皇が訪れたと言われる場所(泳宮公園)の画像

けいこう                         くくりのみや

景行天皇が訪れたと言われる場所(泳宮公園)


添付ファイル