更新日:2020年6月18日
荒川豊蔵資料館
当館は、志野、瀬戸黒の2つの工芸技術で国の重要無形文化財保持者(通称「人間国宝」)に認定された荒川豊蔵氏により、昭和59年4月に豊蔵資料館として創設されました。その後、平成25年4月には、当時の設置主体であった財団法人豊蔵資料館から可児市に寄贈されることになり、同年10月には名称を「荒川豊蔵資料館」に変更し、現在に至っております。また、平成29年4月からは、敷地内にある居宅(旧荒川豊蔵邸)、陶房など改修し、無料で公開しております。
当館は、蔵をイメージした白壁造りの外観となっており、格子には萱のデザインが取り入れられています。また、自作・自筆による作品のほか、荒川豊蔵氏によって収集された古陶磁器、工芸品、古書画、出土陶片などを収蔵しております。
豊かな自然に囲まれた「美濃桃山陶の聖地」と荒川豊蔵の作品やコレクションを、是非、ご覧ください。
「美濃桃山陶の聖地・可児」WEBサイト
http://minomomoyamato.jp/pc/index.cfm
ダウンロード
荒川豊蔵資料館パンフレット(表面) 1p(pdf 185KB)
荒川豊蔵資料館パンフレット(裏面) 1p(pdf 134KB)
旧荒川豊蔵邸
荒川豊蔵氏は、牟田洞古窯跡において志野筍絵の陶片を発見したことが契機となって志野の再現を志し、この地に移住しました。旧荒川豊蔵邸(写真)は、もともと別の場所にあった古民家を荒川豊蔵氏が入手し、住居兼陶房として昭和7年暮れに移築したものです。
戦後になってからは陶房が別棟となり、この居宅に多くの著名人が迎えられました。
荒川豊蔵氏の生前に増改築が2回ほど行われていましたが、平成26年からの耐震補強等改修工事において移築当初に近い姿に戻し、平成29年4月28日から公開しています。
齢を重ねた家具や調度品などからは、荒川豊蔵氏の暮らしの一端を垣間見ることができ、自然に寄り添う暮らし振りを体感することができます。
陶房
戦後、住居から陶房機能を切り離した後に、新たに構えた陶房です。当初はロクロ場と室(モロ)のみでしたが、昭和40年代には西側に高床式の書斎部分を増築し、現在の姿となりました。
平成28年からの耐震補強等改修工事において昭和30年代以降のロクロ場に近い状態に復元し、平成29年4月28日から公開中ています。
陶房内には、機械類は存在せず、昔ながらの手作業での制作工程であった様子が垣間見られます。仕事場の臨場感を体感していただけるよう、豊蔵が使用していた道具や土、釉薬などを設えています。
随縁碑 ※平成29年4月28日(金曜日)より公開
この碑は、昭和5年(1930年)、荒川豊蔵が桃山期の志野筍絵陶片を発見した場所に、記念碑として建てました。江戸期以降、志野などの桃山陶は、瀬戸焼と言われてきましたが、可児市久々利大萱での志野発見により美濃焼であったことが判明しました。また、豊蔵が志野再現を志すきっかけともなった出来事です。その一連が、奇縁の重なりによる発見だと感じた豊蔵は、「随縁」を座右の銘とし、碑にも刻んでいます。碑の脇には椿を、川岸には、窯下古窯跡から竹を2本移植しました。脇石に腰掛け、物思いにふける豊蔵の絵姿が残され、大切な空間であったことを今に伝えています。
東屋(旧外風呂) ※平成29年4月28日(金曜日)より公開
もとは外風呂で、川水を汲み、薪で湯を沸かす五右衛門風呂でした。瓦屋根の建物に、常滑の土管で煙突を作り、庭側に白壁の土塀がありました。昭和17年には、豊蔵の陶房に川喜田半泥子が逗留し、その時の湯浴みの様子を画にしています。冬の寒さは厳しく、風呂上りでも住居に戻るまでには体が冷えてしまうのが難点であったといいます。
現在の建物は、改修前とほぼ同じ外観と規模にし、当時の姿を今に留め、来訪者の憩いの場としての空間となっております。
ご利用案内
午前9時30分から午後4時まで (最終入館時刻は午後3時30分)
毎週火曜日から日曜日、祝日
毎週月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日、および年末年始
※なお、展示替え等のため臨時休館となる場合がございます。詳しくはお問い合わせください。
〒509-0234
岐阜県可児市久々利柿下入会352番地
電話/FAX 0574-64-1461
区分
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料金(お一人様)
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一般 |
210円
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選べる共通入館券※ |
310円
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団体(20名以上) |
150円
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高校生以下 |
無料
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※障がい者手帳などをお持ちの方と付き添いの方(1名)は無料で入館いただけます。
※「選べる共通入館券」を利用される場合、
市内有料施設3館 (可児郷土歴史館・戦国山城ミュージアム・荒川豊蔵資料館) のうち
2館選んで入館できます。有効期限は1年間です。
また、川合考古資料館は無料でご覧いただけます。