更新日:2020年3月31日
(番外編)明智城跡で光秀の気持ちを考える
明智光秀といえば本能寺の変を起こした人物として歴史好きだけではなく、日本人のほとんどが知っている有名人です。青年期は不明な点が多いそうですが、ここが出生の地であると言われています。明智家は代々ここに築かれていた明智城の城主でした。明智城は斉藤道三とその子義龍の争いが起き、道三方についた光秀(明智城)は、義龍勢に攻め込まれ、落城しました。以後、光秀は諸国を巡った後、織田信長に仕えることとなります。
大手門をくぐり雰囲気の良い階段を上っていきます。
階段状ですが傾斜を感じますので、下りは特に気をつけてください。
階段を上り切りますと、山稜の「出丸」に出ます。南に戦死した将兵を葬ったといわれる「七ツ塚」があり、西へ進むと「明智城址碑」があります。
七ツ塚です。
「敵は本能寺にあり」と口走りたくなります。
奥に明智城址碑と展望台があります。
光秀もここから敵の動きを見ていたのでしょうか。
光秀の出生地と言われるこの地で、日本史上の大きな謎である本能寺の変について考えてみてはいかかでしょうか。
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