更新日:2024年8月23日
金山越し講演会「日本最古の城門と天守」の結果について
令和6年10月6日(日)14:00~15:30に、広島大学名誉教授三浦先生による金山越し講演会「日本最古の城門と天守」を開催しました。
会場には、事前申し込みをされた118名の参加者があり、三浦先生による美濃金山城の天守の位置に関する考察や、金山越しや瑞泉寺の城門に関するご見解など、多くの知見が得られた、非常に興味深い内容でした。
また、講演会終了後に受け付けた質問に関して、事務局にて厳選し、三浦先生よりご回答がありましたので下記の通りご覧ください。
①天守の礎石について
Q.美濃金山城の天守は、いわゆる織豊系城郭として築かれているのに、三浦先生の言われる天守想定からは、なぜその天守の礎石が出てこないのでしょうか。それとも、礎石立ちの天守ではなかったのでしょうか。
A.金山城天守推定位置は、破城が著しく、天守台石垣は下部を残して総て破壊され、天守台上の地盤も1mほど削り落とされているため、礎石は全く残っていないと考えられます。天守台は破城の際に最も徹底的に破壊されるので、当然の結果です。
②美濃金山城から犬山城への天守移築について
Q.犬山城天守2階までが、美濃金山城天守の移築で、3階以上は美濃金山城とは無関係とおっしゃっているように聞こえました。この認識で正しければ、「国宝犬山城天守の創建年代に関する新発見」(編集 麓和善名古屋工業大学名誉教授)に書いてある、年輪年代調査結果により「一重から三重までが一連で建設されたことが実証され」たとする見解と真っ向から対立する主張になると思われます。
A.現在の犬山城天守は三重四階なので、三重まで一連というのは最上階まで一連、すなわち丸ごと天守全部となり、誤っています(原文を見ていませんので、そのように書かれているかどうか確認してください)。小生の見解では、下から二重二階までが金山城天守を移築したもので、金山城天守が残っている最上部は二階の上に渡る梁までです。その梁は三階の床を支えていたものです。それより上が三階と四階であって、慶長6年の移築後の造り替え(新築)です。
金山越し講演会「日本最古の城門と天守」について
関ケ原の戦いに際し、破城された美濃金山城の資材が、木曽川の水運により運ばれ、犬山城と城下町の建築・修築に用いられたという伝承『金山越し』。近年はその信ぴょう性が高まりつつある歴史ロマンです。
講師
三浦 正幸氏(広島大学名誉教授、NHK大河ドラマ「光る君へ」建築考証)
日時
令和6年10月6日(日曜日)14:00~15:30(受付時間 13:30~14:00)
場所
兼山小学校体育館(駐車場は兼山小学校グラウンドをご利用ください。)
申込方法
事前申込制(応募多数で抽選となります。)
往復はがきでご応募ください。(1通で2人まで申し込み可)
〇記入方法
申込期限:令和6年9月20日(金曜日)正午必着
※抽選結果は返信ハガキにてお知らせします。(9月25日発送予定)
同時開催イベントについて
兼山スタンプラリーウォーキング
金山越し講演会の併せて、兼山スタンプラリーウォーキングを開催します。
兼山のスポットを巡って、兼山の町を楽しみましょう。