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【戦国史跡めぐり1】 土田城跡、羽崎城跡、明智城跡、大森城跡、室原城跡、今城跡、久々利城跡

更新日:2015年12月3日

土田(どた)城跡

可児川が木曽川に合流する地点から上流1kmの左岸、土田山の険しい自然地形を利用した天然の要塞として、文明年間(1469~1486)に土田氏によって城が築かれました。
城跡には、中世の城郭に見られる土居が残っています。

  • 土田(どた)城址イメージ
  • 土田城跡地図 

羽崎(はざき)城跡

土岐桔梗 土岐氏
羽崎館ともいわれ応永年間(1410年代)の開城
土岐三河守悪五郎の三男 羽崎三郎光直の居城
天正11年(1583)ごろ閉城

  • 羽崎(はざき)城址イメージ
  • 羽崎城跡地図 

明智(あけち)城跡

光秀ゆかりの山城
戦国武将の明智光秀出生の地と言われてます。
1342年、明智次郎長山下野守頼兼により開城され、1556年斉藤義龍に攻略されるまで、明智家の居城であったと考えられています。
自然の地形をうまく利用した典型的な中世の山城で、低い丘陵頂部標高170mの平坦地を本丸とし、尾根続きの丘陵支脈頂部に出丸、見張台が設けられていたと考えられます。明智城は長山城とも呼ばれ、「明智長山(あけちながやま)城跡」として、市の史跡に指定されています。

  • 明智城址イメージ
  • 明智城跡地図 

大森(おおもり)城跡

久々利三河守の家老奥村元信の子元広が築城した大森城は、天正10年(1582)に落城するまで、奥村又八郎(元広)の居城だったと考えられています。
城址は大森川と姫川に挟まれた北に細く延びる丘陵の東側、大森神社の裏手に位置し、丘陵頂部、東西約20m、南北約50mにわたり整地され、本丸となっています。
また、本丸の下は東側を中心に幅3m程の空堀がめぐり、土居も築かれ、北側には広さ250~300m2の平坦面が二面続き、二の曲輪としています。

  • 大森城址イメージ
  • 大森城跡地図 

室原(むろはら)城跡

室原城は長洞城とも言われたようで、城址は室原を囲む山並の一角、標高200m程の山頂に残るが、正確な築城年代は不明です。一説には、永禄8年(1565)築城と言われています。

  • 室原(むろはら)城址イメージ
  • 室原城跡 

今(いま)城跡

今城は、天文年間(1532~1554)に、市内今の愛宕山山頂に、小池刑部家継が築いたと言われています。
城跡は山の南へ突き出た台地上にあり、頂部は一辺が約30m程の平地となっています。城の北側の屋敷跡と言い伝えられる場所には、数基の五輪塔があり、これは小池氏の墓と考えられています。

  • 今城址1
  • 今城跡地図 

久々利(くくり)城跡

久々利城は、応永年間に土岐三河守行春が築城したとされており、康貞より6代、天正11年(1587)に至るまで約百数十年間、歴代土岐三河守悪五郎を名のり、豪荘な山城でした。
城は現在の可児郷土歴史館北側の険しい山を、堀切をもって遮断し構築されています。その遺構は現在もよく残り、土居をもって二段の曲輪をめぐらし、その上に本丸があり、石垣を用いずに自然地形を利用して構築された、典型的な中世山城です。

  • 久々利城址1
  • 久々利城跡地図 

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